久しぶり

新社会人として5カ月働いて休職、そして7か月後に退職、今現在ニートの女です。

暇だし、語彙力の低下を感じだしたから、久しぶりに書いてみる。

 

休職してからはダラダラと消費するだけの毎日です。

更にいうと1ヶ月前に親や友達との連絡を絶ち、1週間前にLINEを消した。

親と縁を切ったのはこれまでの蓄積だから、それなりに正当?な理由だと思うけど、LINEまで消した理由は、誰にも干渉されたくないという思春期の子供みたいな理由。

誰も私を知らない町に引っ越して、何も気にせず町を歩きたいなと思う。でもなんせ不安障害のニートなもんで、お金がかかることには奥手になる。

本当に時間があるときはお金がなくて、お金があるときは時間がないもんだ。両方バランス良くがこんなに難しいなんてね。ハードモードな気がする。

でも前職が親にすすめられた福利厚生ばっちしのところだったから、休職中も給料出たし傷病手当も貰えるから何とか一人で生活は続けられそう。その点は運が良かったと思う。

 

前職は他者からしたら凄く好条件の職場だった。

人間関係も特に悪くなく、残業も毎日1時間程度、1年目の平均より多い給料、休みも取りやすかった。

だけど日に日に眠れなくなり、心もボロボロになっていってた。

当時は上司に報告連絡相談を細かく行うことがしんどい等、いくつか理由はあったけど、それでも何故ここまで追い詰められているのか、自分でも分からなかった。自分の弱さが情けなくて、只々泣くしかできなかった。

あれから8カ月経つ今振り返ると、元々不安障害という弱さが10代からあってそれが環境の変化で発病しただけなのかなあと思う。

それと職場より自分に責めの矢印を向けすぎてたけど、シンプルに職場の雰囲気が合わなかった気がする。まあ慣れと言われたら何も言えないし、適応力が悪い自分がやはり悪い気がする。

休職中少しの間デイケアに行っていて、その時相談員の人にここは人との距離感や関わり方を学ぶ場と言われたけど、私は人との関わり方に課題があるのだろう。

 

 

久しぶりにTwitterの140文字以上打ってたらもう疲れた。ここらへんにしとく。自分、続き書けたら書いてね。

お久しぶりです。

なんか色々ありながら大学2年の夏休み過ごしてます。あと2週間で終わります。絶望です。

今日は顔について語ってるとある動画を見て、そういえば顔についての意見をアウトプットしたことない(アウトプットの使い方合ってないかもしれない)と思って自分の脳内整理代わりにこのブログに書くことにしました。

ここからしばらく自分語りです、お付き合い願います。


自分は自分の顔が嫌いです。高2のときに好きな人ができたのがきっかけで、そこから自分の顔が本格的に嫌いになりました。

当時の好きな人の好きな人はとても綺麗な人で、私の方にはまったく振り向いてくれなくて、そんな状況が続くなかで私はひとつの答えにたどり着きました。自分のことを好いてくれないのは全て顔のせいなのだと。今思えばそれだけじゃないと言いきれますが。

それまでの私は自分の顔が美人だとは全く思ってませんでしたが、顔に対してわりと無頓着だったのと、メイクすればどうにかなると思ってたのでコンプレックスというほどコンプレックスに感じてませんでした。だからこそ自分の顔が醜いと自覚した瞬間それまでの浅はかな考えをしていた私が恥ずかしくてしょうがなかったです。

そんなこんなでそこからの私はいわゆる顔面醜形恐怖症になっていくわけです。まず暇さえあれば鏡チェックと自撮りチェック、外出の際は常にマスクでアイプチがかかせない、毎日のように自分の顔を見て泣いたりひどい時は自分の顔が許せなくて外に出られないなど。あとネットでは整形のことと美容のことをとにかく調べてました。とにかく苦しんでましたね、顔のことで馬鹿みたいに振り回されてました。特に酷かった時期は高2の冬から高3の春くらいです。そこからマシになっていったんですけど、理由としてはメイクとか自分磨き頑張ってたら友達に可愛くなったねと言われたこと、受験生になって受験の悩みの方が大きくなっていったこと、好きな人が卒業したことの3つです。特に最後の好きな人が卒業したことがでかくて、自分の顔をいちばんよく見られたい相手がいなくなったことで自分の顔を気にする理由がひとつ減りました。

そんなこんなで大学入るんですけど、そこからさらに自分の顔へのコンプレックスが減りました。有難いことに大学入ってから何故か自分の顔を褒めてくれる機会が何度かあってそれでほんの少し自信がつきました(これは運がよかったにつきる)。世界一ブスだと思ってたのが、中間というか場にいることが許される顔くらいにはなったかなみたいな。。

で、今に至ります。


長かった〜自分語り。(ここから酷いなぐり書きみたいな文章です)


それで本題の顔についてですが、最近の私は顔に縛られる世の中と人が嫌いです。

自分語りの中に褒められる機会が増えて自信がついたって前述しましたが、これで嫌な思いもしたことがありました。いつかのとき通りすがりの男集団があの子可愛くね?ってすれ違いざまに言ってるのが聞こえてきたことがありました。それを聞いた私は腹立たしさを覚えました。(自慢だと感じる人もいるかもしれませんが、そんな大した顔じゃないです。美人だと人に言われたことは1度もありません。そういう顔です。多分通りすがりだったからそう見えたんだと思います。)なんで腹立つ?って一見思うかもしれませんが、私はそのとき「なんで知らない人に判定されなきゃいけないの?おかしくない?てか可愛くね って何その上から目線?てか思っても聞こえるとこで言う?」って心の中で思いました。

なんでしょうね〜普段顔のことばかり考えて、顔で人や自分を見てる自分が言えた身じゃないんですけど、だからこそそういうので判定されるのがすごく不快なんですよね〜。

あと顔褒められたら次会った時はがっかりされるんじゃないかって不安に思えてくるんです。だから異性の人やそこまで仲良くなってない人に顔褒められるのが苦手です。といってもそんな機会ほとんどないし、なかったからこその感情なのでしょうが・・・。


あと最近苦手になった言葉があってそれが「可愛い」です。TwitterとかSNSで「可愛い」って言ったり言ってるのを見たりするのは全然平気なのですが、現実で「可愛い」って言葉が聞こえてくるとしんどくなります。いちいち可愛いに反応しちゃうんですよね・・・いや自分が言われているわけではなく、関係ないのはわかっているんですがいちいち気にしてしまうんですよ。自分でも馬鹿だと思います。だけど実際に世の中「可愛い」に囚われているんじゃないかっておもうんです。可愛いから何、それだけじゃないでしょ・・・というか・・・どう伝えればいいのか・・・頭が混乱してきました。あとで修正します。多分これは自分が自意識過剰すぎるだけです、世の中は悪くなかった。

可愛いとか美人だとかで人を判断したくないし、そこから好きになったりしたくない、私がそういう人間が嫌いだから。なのに私自身が1番そういう人間で。この現実がしんどいですね。綺麗な人やかっこいい人だって苦労はするし、綺麗じゃなくてもかっこよくなくても魅力的で幸せに生きてる人はいるってわかってるのにどうしても綺麗な人を見ると惹かれてしまうし羨ましくてしょうがない。


とにかく顔という概念(?)から離れて生きたいです。それだけです。結局まとまらなかった。



今日もまた苦しみながら生きてます。おやすみなさい。


追記

顔についてもうひとつ言いたいことあったので。

私が顔を綺麗にすればするほど、褒められれば褒められるほど昔のブスだと言われてたあの頃の私はなんだったのだろうって思うんです。中身は何一つ変わってないのにあの頃より周りの反応がいい現実に悲しくなります。やっぱり世の中見た目から入るんだなと・・・小綺麗にした人に寄ってくるのだなと・・・。私は私なのになって思います。美人でもなんでもない私が言えることでもないけど。だから今寄ってくる人って私がすっぴんになってメガネかけても好いてくれるんですかね、今よりブスなあの頃の私も見ても好みだとか言えるんですかね。というか今の私と昔の私そんなに違いますか?

理想通りにはいかない

最近よく考える。

精神病や精神障害発達障害の人たちと幸せに生きていく術はないのかと。

大体の人はそういう人たちを見て、きもいだとか死んでほしいだとか見たくないだとか、そういう感情を抱いているのが本音なのではないだろうか。もちろんそういう人だけじゃないこともわかっている。

私は兄が精神病と障害を患っているからその人たちよりは理解があるだろう。いや、理解というよりは慣れているが正しいか。

だが、兄以外の障害者の人たちと接したことは皆無に近いし、実際外で見るとなんともいえない不快さが襲ってくる。TwitterではSAN値が下がる感覚に襲われると書かれたツイートを見かけた。私もそうだと思う。


精神病や障害者の人たちにも幸せに生きてほしいし同等に生きてほしいし、かけがえのない命を持つ人たちという理解もしている。

しかし、実際介護施設や援助施設では、その人たちと向き合い続けることができず、思いやれず、暴言やいじめ、暴力がとびかい、もはや当たり前のように行われているところもある。昔相模原で起きた障害者施設の殺傷事件の犯人は障害は本人も周囲も苦しめるという理由から障害者の安楽死制度を望んでいた。(もちろん薬物に手を染めていて心神喪失ぎみであったこともあり犯罪を犯してしまったのもあるだろうが)

私はその犯人の起こした行動は最低だと思ったが、考えを否定できない。


障害者の人たちも生きていく過程の中で幸福も感じることがあるはずだ。でも、その数が圧倒的に他の人たちと比べて少ないのではないかと考えてしまう。

障害はある人にしかわからない苦しみや思いがきっとある。それがわかったら、分かり合えたらどんなに楽だろうか。それがわからないからこんなにもどうすればいいのか分からないと悩む。


自分の話になるが、私の兄は重度の障害者であり、意思疎通もあまりできない。幻聴幻覚を伴う病気を患っているが、意思疎通ができないためどういうふうに見えて、どんな風に感じ、そして周りがどうしてあげたらいいのか何一つわからない。

薬を飲まなきゃ、興奮が強まり、発狂したり大声を出したり歩き回ったりしてしまう。でも薬を飲んでいないときの兄の方が意識ははっきりしているように感じる。薬を飲んでいることでたくさんの副作用も出ている。

また、施設に通っているが、泊まる頻度が介護をしている両親の年齢が高齢になってきたことから増えている。ゆくゆくはそこに住むことになるだろう。だが、施設は先ほど言った通り暴力や暴言があるのかもしれないし中のことは私たちはわからない、だから兄のことを考えると行かせない方が兄的には幸せなんだろうと思う。

兄にとっての幸せを私たちは尊重することができない。周りの都合で決めてしまう。こんなことをしてでも生きていかなきゃいけないのはなんて苦しいのだろうかと勝手に思ってしまう。


みんなが幸せに平和に暮らすことがこんなにも難しいだなんて子供の頃は思いもしなかっただろう。知りたくなかった。


他人にとって自分と違う存在も、精神的に不快にさせる存在も、かえがえのない命であり、幸せになる権利を持っている。

しかし偏見と差別はなくならないだろうし、そういうふうにできている。自分もそれをしない人間には程遠い。

それに、偏見や差別などをする人たちも自分の幸せと精神を保つために起こしている行動であって、わざとやっているわけでは無い。例え差別をしなくなったとしても、関わることでストレスもかかるだろう。

同じ人間として、同じように接することはとても難しい。そうしようとしたら逆に自分が疲れることもある。


正解が見つからない。

どうすれば障害者や精神病の人も幸せであり、周りも心地の良い生活ができるのだろう。


障害や精神病をなくす薬がさっさと開発されたらいいのにと何度思ったことだろう。


拙い文で、とても分かりづらい文章で申し訳ないです。書いてるうちに訳わからなくなってました。ずっと吐き出したいことが吐き出せてよかった。

久しぶりと初めまして

アメーバからなんとなくでyahooに変えたら、まさかのyahooブログサービス終了で、たどり着いたのははてなブログでした。

yahooからの移行ブログ。久しぶりの人は久しぶり、初めての方ははじめまして。

これからまたよろしくお願いします。

 

溺れるナイフ見た

ただの見た感想です。






なんだ・・・あの作品は・・・

見たあとあまりに心臓掴まれるような感覚で過呼吸になりそうなほど
すごかった・・・

なんかとても暑くなった・・・
それくらい見入って支配される作品でした。

少女漫画実写のレベルじゃない・・・。
もう芸術作品見た気分なんやけど・・・。


いや、原作から少女漫画的じゃない作品だったけどね・・・。
原作も初めて読んだ時あまりの癖強さに衝撃受けたなあ・・・。


実写化するって聞いた時は
朝倉の絵で成り立つ世界を実写にできるのかとても心配だった。
でもキャスト見た時これはすごいな・・・って思ったね。大友役の重岡は少し不安に思ってたけど、映画見たら重岡じゃなきゃ無理だというレベルによかった・・・。
重岡くん・・・大友最高でした・・・。

てかねキャストの絵力もすごかったけど、
なにより監督がすごいと思う、これは。

演者たちをとるカメラワーク、脚本の構成、演出、すべてが溺れるナイフというタイトルのように視聴者を溺れさせ突き刺してくる。

ただ、一つ不満だった点を言うと音楽かなあ。私的に映画の途中に歌は流して欲しくなかった・・・。


でもそれ以外は良すぎて私にとっての映画に対する見方が一気に変わった・・・。
私映画よりドラマ派なんだけど映画派になりそうなほどよかった。


なんか見たあとの疲労感がいい意味で強くて、見る前に考えてた悩みとか思いとか全部吹っ飛んだ・・・。

改めて溺れるナイフって素晴らしい作品だなって思えて、原作読みたい、映画もう一回見たいって思った。


この映画監督もだけど、この原作を作り上げたジョージ朝倉ってやっぱりすごいわ・・・。

勉強かあ

twitter依存しすぎだと思い一時的に消したけどやっぱり思ったことは書き込みたくてブログきました。意味がない。

昨日から秋休みというものに入りました。
通信制は休みが沢山ありますね。

日曜日に焦りも感じず過ごすなんていつぶりだろう。夏休みはアルバイトやらなにやらで何気に忙しかったので。

いや、本当は気持ちの焦りはあります。
受験勉強です。
2年の後半に差し掛かってるのに通信制でただでさえみんなよりまともな授業受けてないのに全然勉強しようと思えません。

燃え尽きてのもありますが、
単純に前ほどこの大学のこの学部に入りたいという思いがないんです。
一応志望校と志望学部はちゃんと決まってるし他のとこは考えたことないんですけど、本当にその仕事がしたいよりも逃げたい・死にたいって気持ちが強すぎて毎日なにもせず過ごしてます。

テレビを見るのと音楽を聞くのと風景をとるのは相変わらず好きだから去年に比べたらまあ病んでないかな。ほかの趣味はかなり興味なくなってますけどね。

こんななんとなく生きてていいのかなって思います。死にたいのに周りに流されて仕方なく生きてるってのってな・・・

なんか最近自分悪口しか言ってないし。でもそれを言って前ほど後悔してないのがいちばんダメなとこ。
嫌われたくないのに嫌われるようなことを自らする。

じゃあ死ねよって感じなんですけどね。
なんかもう自分なにしたいんだろうか・・・
自分が自分でわからない。。

人と深く関係を築くと突然人が無理になる

昨日の夜ハイテンションだった癖に今日一時限目で友達に素っ気ない態度とられてから色々前にしでかしたことで私のこと嫌いになったんだと突然不安に陥り、なんかもうその子だけでなく他の子にも嫌われてると思えてきて、必死にパニックにならないように保健室で引きこもってたら、担任が来て熱はかることになり熱計ったら微熱で早退することになり、でもなんか家帰ってもすることないってことでヒトカラ行ってきました()
相変わらずクズです。
体力的には別に学校残ってもよかったんだけど、なんせその子らと普通に接せれる精神状態ではなかったので。

でも少し時間立つと期待したりわかってくれるとどこかで思ってたり、密接な関係になろうとしすぎてたなと思えてきて。
だからこれからは距離とろうかなと。
別に話さなくなるとかそこまでではなくてね。

どっちにしろ前々からバイトがない日は放課後何時間も残るの少し時間もったいないなとは思っていたので、この機会にね。

やっぱり人間関係深く築いてくの苦手だな私。浅く広くは割と出来るんだけど。

去年から年に数回微熱になるんだよなあ、大してしんどくないのに(いつもよりはしんどいけどさ)
やっぱり精神的に追い詰められてる時って体も弱りやすいのかな。逆も然りだけど。(今日睡眠時間4時間半くらいだし)

なんかダメですね、本当に。

昨日の夜めっちゃ明るかったのに・・・
躁鬱なんやろか。
最近行ってないけど心療内科の先生に直接言われたことはないけどなあ